カテゴリ

ニッポンのお米について考える④

トンボ.jpg

秋になるとうるさいほど見かけるトンボ。関東で見かける赤とんぼは「アキアカネ」というそうです。

瑞穂の国・日本。
私たちの国は、豊かな水に恵まれていることが広く知られています。

私の田舎などでは浄水器など必要なく、それはそれはおいしい水道水が味わえます。
水資源が豊富で、しかもおいしい。
それが日本の水の特徴ではないでしょうか。

夏場に水不足などのニュースが報道されることはあっても、概ね日本は水の豊かな国であると言っていいでしょう。

田んぼはこの水資源の保全と重要なかかわりがあるのです。

4月末から9月ごろまで、稲の栽培期間中、田んぼには水が張られます。
あぜはしっかりと水漏れを防ぎ、農民によって水の管理がきちんとなされます。

この間、田んぼは日本全国で何億リットルもの水を貯め、一種のダムのような役割を担っています。

上流に田んぼがある地域ではない地域と比較して、大雨が降った際の河川の増水量が少ないといった研究結果も報告されているようです。

また、田んぼに張られた水は地下に浸透し、その過程で水を浄化する機能も持っています。
小学生が理科の実験で、粘土層・砂の層を通して泥水を浄化するのと同じしくみです。
さらに有害な物質も微生物や稲などが分解・吸収し、地下水へと変わります。

どの地域でも、田んぼは水資源の近くに作られるもの。
田んぼは私たちが利用する水を保全・管理してくれているのです。

画像 015.jpg

これは増富の耕作放棄地の横を流れる沢の写真です。沢づたいにずっと棚田が並んでいます。雪解け水は冷たいので、一度ため池に入れてから利用していたとか。

この機能のほかに、もうひとつ素晴らしい役割があります。

冬季湛水という言葉をご存じですか?

冬の間は通常田んぼから水を落してしまうのですが、稲刈り後再度水を張り春先までその状態にしておく田んぼのことを「冬季湛水田」と呼びます。
昨今、生物多様性という言葉とともに、すっかり有名になりました。

これは水資源の豊かな土地でしかできないという条件付きの農法ですが、ラムサール条約に認定された宮城県の蕪栗沼などで行われています。

主たる目的は雑草の抑制なのですが、冬の間この田んぼは湿地のような機能を持ち、微生物やイトミミズ、魚類などが生育可能となり、さらにそれを捕食する水鳥が渡来するようにもなります。

白鳥が自分の田んぼに飛んでくる...きっとウキウキする体験でしょうね!

さて、冬季湛水にしなくとも、無農薬栽培の田んぼはさまざまな生物のゆりかごになります。

どこにでも見つけることができるアメンボをはじめ、カブトエビやホウネンエビ、めったに見つからないタガメ。

カブトエビ おきたま0607.jpg

初めて見たときには「なんじゃこれ!?」と驚くことうけあいのカブトエビ(カブトガニじゃないよ)。田んぼの底を小さな足でかき回し、雑草の芽が出るのを抑制します。どこからともなく「湧く」虫で、導入しても根付かないらしいのが不思議ですよね。

ちっちゃなイトミミズや、見つけると「うへえ」と思うヒル、夏の終わりを感じさせてくれるホタル。

そして凶悪な顔つきのヤゴ。
このトンボの幼虫は旺盛な食欲で小さな生きものを食べ続け、秋に羽化して今度は鳥のエサになります。

田んぼを中心に、豊かな生きものの世界が広がり循環しています。

憎い顔のアマガエルくん.jpg

ちっちゃい体のわりに虫を大量に食べてくれるアマガエルくん。葉っぱのふりしてお休み中。初夏に大量に田んぼから発生し、あぜ道を横断してあちこちに旅立っていきます。

単に食糧の供給というだけでなく、日本人の身の回りにたくさんいる小さな生きものを生み出している田んぼ。
あなたがごはんをお茶碗何杯か食べるたび、田んぼの生きものが確実に育まれているのです。

手島奈緒

次回につづく

投稿者:えがおスタッフ | PermaLink | コメント(0) | トラックバック(0)

ニッポンのお米について考える③

田起こし、田植え、収穫...稲作農家にはそれぞれの作業のための機械があります。

0001.jpg

ひろ~い平地で稲作を営む。このような大規模化で海外の米との価格競争を可能にするとかいう妄想があるようですが...無理じゃないかな~

これらの機械は1000万円くらいするものもあるため、借金して買う農家がほとんど。
大規模・機械化は効率もいいけど、大変な経費もかかるということですね。

さて、2007年の12月、米の価格が急激に下がったと「米問題」がメディアで取り上げられたこと、覚えていますか。

それまで一俵(60kg)15,000円程度だったものが、10,000円~12,000円、低いとこでは7,000円という価格になり、農家に激震が走りました。

この価格は「仮渡金」と呼ばれ、米の収穫が終わった11月~12月にかけて、JAに出荷している米農家に支払われるものです。
(直接消費者や卸業者に販売している場合は仮渡金は存在しませんが、米価を決める参考になっているようです)

その年の作況や前年の売上などを加味して決定されているため、その時にならないと、一俵いくらになるのかがわからない、それが仮渡金。

つまり米農家は、自分の米がいくらで売れるかわからない中で、一年間米づくりをしているということですね。

農家には仮渡金のほかに、翌年、前年の米が売り切れたあたりで最終価格の調整が行われ、追加分が支払われます。
最終価格は16,000円程度になることもあったり、そんなに伸びないこともあったり。

米余りや政府の調整米投入などでも価格が変わりますから、これも予想はつきません。
今年の最終収入額がわからないなかで営農を営む...毎月決まった額がもらえるサラリーマンから考えると想像もつきませんが、それが現状なのです。

さて、一年分の支払いを年末に控え、仮渡金が思ったよりも少なくて大騒ぎになったのが2007年の秋のことでした。

前年度の仮渡金価格から今年の経費を見積もった農家からしてみると、大変なことだったでしょう。

農家の支払いは基本的に年末ですから、この支払いをあてにして機械を買ったり、大きな借金をした人もいたでしょう。
足りなくなった人が何人もいたに違いありません。
(それらはあまりメディアでは伝えられず、米価の下落のみが話題になっていましたけど)

それ以来、米の価格は下がることはあっても上がることはなく、今年もまた安くなっています。

現在では安いところでは10,000円~12,000円あたり。
魚沼産コシヒカリなどのブランド産地ではもっといい価格で取引されますが、そうではない産地の方が多いのですから、米農家はますます大変になっているということでしょう。

平地で大規模な機械化が可能な地域、一軒あたりの面積が10ヘクタール以上になるような地域では、米の価格は一俵12,000円でもなんとか採算が合うようですが、えがおつなげての拠点でもある増富地域のような中山間地では、少なくとも18,000円以上で売れないと採算がとれません。

雨の千枚田.jpg

景観の美しさで有名な石川県能登半島の千枚田。付加価値があるからこそ継続されているけれど、それがなければ耕作放棄地になったはず。本来「棚田」は「どんな土地でもいいから米を作りたい」という先祖の執念のたまものなんですよねえ...。

中山間地の田んぼが放棄されるのには、また米農家の8割程度が兼業農家なのには、こういう理由があるのです。

日本人の主食である米。
日々のごはんをあと一口余分に食べたら...。
お昼ごはんにスパゲッティを食べないで、おにぎりを持って行ったら...。

日本に住まう人々がもう少し米を食べることが必要だと思いませんか。

なぜなら、田んぼには食料を生産すること以外にも、大切な役割があるからです。

次回につづく

投稿者:えがおスタッフ | PermaLink | コメント(2) | トラックバック(0)

ニッポンのお米について考える②

斎藤謙二 会長田んぼ②.jpg

お米って一反(10アール)あたりだいたいどれくらい収穫できるものでしょう。

慣行栽培で10俵(600kg)収穫できれば、「あなたは素晴らしい!」と言われます。
ちなみに慣行栽培とは、地域の防除暦通りに除草剤や殺虫殺菌剤を散布するフツーの栽培のことです。

これが有機栽培や無農薬栽培、除草剤一回のみの栽培となると、目標は8俵(480kg)、よくできて9俵(540kg)、少し悪くて6俵(360kg)...。
やはり少し少なめでしょうか。

そして、無農薬栽培のお米は、除草などの手間がかな~り余計にかかります。

さて、化学肥料が登場する前、小規模で有畜複合農業をしていたころの一反あたりの収量はどれぐらいだったか。

ある農民に聞きましたら、7俵程度は採れていたとのことでした。
田んぼというのは機能的に優れており、収穫し終わったワラ・モミガラ等を田んぼに還元する等の天然供給の肥料分でも、5俵ほどは収穫できるものなのだそうです。

田んぼにあるもので5俵。+アルファがヒトの技術。

家畜糞やワラなどの有機質を還元していた時代で7俵採れていたことを考えると、現在の米づくりが収量の点で大きく進歩しているかというと、決してそうではありません。

では技術の進歩はどこに向かったのでしょう。

それはやはり、機械化・効率化でしょう。飛躍的な進歩がみられます。

昭和40年代米づくりにかかった一反あたりの労働時間は141時間。
(農水省の統計による)
平成18年では28時間。

なんと、約5分の1です! 驚きですね。

人間の手作業だった部分が機械化され、農作業は楽になりました。
しかし作る米の価格は下がり続けています。
面積あたりの収量がいつも一定だとして、単価が下がり続けていく場合、どうしたらいいか。

規模拡大が一番の早道です。

今や稲作農家は、耕作面積が広いほど収入がよくなる構造になってしまいました。
またそれが国の政策でもあったのです。

小規模な稲作が立ち行かなくなり、中山間地の棚田が荒廃して行った理由のひとつは、米づくりの大規模効率化だったのです。


次回に続く

投稿者:えがおスタッフ | PermaLink | コメント(0) | トラックバック(0)

ニッポンのお米について考える①

hakusyu_2.jpg
現在、日本人が一カ月にどれぐらいお米を食べているかご存じですか?

平成21年度の調査はされていないので不明ですが、調べたところ、平成20年度で約5kgという数字が出てきました。

平成20年度は、だいたい毎月4.5kg~5kgの間を推移しています。
一カ月5kgのお米と言えば、一日約170g。一合にも満たないということになります。
一合と言えばちっちゃなお茶碗に軽く3杯。
みんな、他に何を食べてるのかな?

日本人の食生活は、この30年ほどで大きく様変わりしました。

世界各地から輸入される食材をふんだんに使い、世界各地の料理を楽しむことができます。
東京に暮らしていると、フレンチ・イタリアン・中華料理はもう当たり前。
タイ・ベトナム・インドネシア・ロシア・トルコ料理...なんでも食べられます。

ごはんとおかずという日本のごはんの基本は、あってなきがごとく。
中にはおかずは食べるけど、ごはんを抜くという人もいるようです。

現在の日本には、無理してごはんを食べずとも、ものすごく食べものがあるということなのですね。

さて、しかし。
昭和30年代前半まで、食べものはそんなに豊かにはありませんでした。

小さな畑で少量の野菜を作り、中山間地で狭い面積の田んぼを耕していたその時代。
お金を払ってまで化学肥料を買う人はあまりいなくて、肥料と言えば堆肥や家畜糞などの有機質肥料が基本。
日常的に肉がおかずになることなどはまれで、卵だってそれなりの値段がしたのでした。

両親やおじいちゃん、おばあちゃんに「子供のころ、おなかいっぱい白米を食べるのが夢だった」と聞いたことがある人はいませんか。
たった2世代ほど前まで、誰もがおなかいっぱい白米を食べられる時代ではなかったということです。

さて、そんな昭和36年(1961年)、農業基本法が施行されました。

それまでの少数の家畜と小面積の田んぼと畑で農業経営を営む「有畜複合農業」から、「選択的拡大・機械化」に。
この政策(大規模化で効率を上げる農業生産)により、食糧は大幅に増産されました。

ここで化学肥料の使用が奨励され、農業にある種の革命が起きました。
「びっくりするぐらい米が採れてすごいと思った」とその時代を覚えている農民は言います。

米でも野菜でも、収量UPのために必要な肥料は窒素分。
有機質肥料から供給される窒素分に対し、化学肥料の威力はものすごいものでした。

誰でもがおなかいっぱい白いごはんが食べられ、卵や牛乳は日常的な食品になりました。
そして、米が余り始めるまでに、それほどの時間はかからなかったのです。

次回に続く

投稿者:えがおスタッフ | PermaLink | コメント(0) | トラックバック(0)

山梨の実り完熟フェア、無事終了しました!

P1050755.jpg

musmusさんの入口で山梨の実り完熟フェアのご案内。

11月4日(水)、えがおつなげてと南アルプスファームフィールドトリップ、musmusさんとの共催で行われた、山梨の実り完熟フェア。

無事に終了することができました。


P1050746.jpg

えがおファームの野菜が仕込みの出番を待ってます...

P1050741.jpg

無農薬のゆずを持って駆け付けてくださったNPO法人富士川・夢・未来の窪田さん。どうやってディスプレイしようかな~。

P1050740.jpg

増富から来てくださった碓井さんの指示で、えがおつなげてのスタッフが仕込み開始! 「もうちょっと大きく切ったほうがいいんじゃない?」「は~い」

参加人数は約100名。

山梨の郷土料理や甲州地どりなど、おいしいものがいっぱい。
ワインや地ビールも飲み放題で、あっという間の3時間でした。


P1050761.jpg

musmusさんの厨房で料理に集中する碓井さん。やっぱり手早さが違うのよね~

P1050769.jpg

ディスプレイ終了!あとはお客様が来るのを待つだけ...ゆずドリンクとゆず2個のプレゼント、大好評でした! 窪田さんお疲れ様でした!

ご来店いただいた方、どうもありがとうございました!!
また来年、お会いしましょう!


写真撮影は当NPO法人代表・曽根原でした。

投稿者:えがおスタッフ | PermaLink | コメント(0) | トラックバック(0)
前のページへ 1, 2